炎上ブログがなぜ強がるのか

 もう2、3年前の事だが、一時、地方新聞の記者や元女性アナウンサーなどマスコミ関係者が開設していたブログが炎上する事が良くあったと思う。そして、そういった騒ぎの際、必ずブログ開設者は騒動の元になった記事につづくエントリで、「この程度の反応を受けても何とも無い」「こんな風に大騒ぎする連中は馬鹿だ」的な意思表明を行い、ますます状況を悪化させていくというのが、お定まりの展開だったように思う。

 多くのイナゴ達はあの強がりを自分達への挑発と受け取り、結果として状況をますますヒートアップさせていった。だがしかし、実はあれはイナゴ達へのアピールでは無かったのではないかと自分は思っている。

 マスコミ関係者が、(たとえ匿名であっても)自分の身分を明かして*1ブログを開設していた場合、本人周辺の関係者、いってみれば身内の人間もそのブログの読者だったのではないだろうか。そして、そういったブログで自分自身の思想信条にまつわるエントリ*2を投稿し、それがきっかけとなって炎上が起こった時、友人や職場の同僚達が見ている目の前で、簡単に白旗をあげる*3ことが出来るだろうか? むしろ、身内からの視線を意識するあまりかえって「この程度の反応を受けても何とも無い」「こんな風に大騒ぎする連中は馬鹿だ」的な意思表明を行うのではないだろうか。要するに、火元となった記事に続くエントリでお定まりのように“強がり”が行われたのは、イナゴ達への挑発ではなく、リアルな人間関係において「自分自身の無傷ぶり」をアピールするために行われていたのではないだろうか。

 繰り返しになるが、炎上ブログにおいてこの“強がり”が行われると、大抵は「燃料投下」ということになり、状況はますます悪化する。しかし、投下されたこの燃料の実態は、実は単なる「ネット」と「リアル」の行き違いだったのかもしれない。

追伸
こんな事を書いておいてアレだが、あまり「ネット」と「リアル」という分別法は好きじゃない。ネットというのは単に媒体の1つの形であって、そこもまた現実の一端に他ならないからである。

*1:ただし、身分を明かすと言っても「地方新聞記者」程度の肩書き表明だったように思う。また、本名を明かして勤務先を隠しているパターンもあったように思う。

*2:炎上の対象になったのは、左翼的なニュアンスの強いエントリが多かったと思う。

*3:この場合、白旗をあげるとは思想信条を曲げる事ではなく、炎上に対して白旗をあげるという意味である。

パナソニックにヒトラーの呪い

巨額の投資が必要なプラズマ事業をやりながら、さらに液晶にまで手を出し始めた松下を見ていると、西で連合国と総力戦をやりながら、さらに東のソ連に向かって戦端を開いて自滅していったナチスドイツを思い出す。

Re:なぜニコニコ動画の閲覧にユーザー登録が必要なのか

上記エントリを読んで、自分が思いついた理由をいくつか。

その1【広報効果】
マスコミなどにプレスリリース等を発表する時、「視聴回数***万回」に加えて「登録会員数***万人」と発表するとインパクトが出るのではないか? という説。登録会員という言葉を使っておけば、なにか凄そうな動員力を誇っているように見える。

その2【プレミア感を出すため】
人間、「見るな!」と言われれば見たくなる物。例えば、ブログなどに「自分が見れない動画」が貼ってあれば、逆に視聴したくなるのではないか? という説。そうやって飢餓感を煽って、ニコニコ動画というサービスに積極的に食い付かせるのではないだろうか。

その3【ブランドをインプリンティングするため】
会員登録というステップを経る事によって、ユーザー自身に「ニコニコ動画」というブランドをインプリンティング出来るのではないか? という説。無自覚にクリックするのと、より自覚的にサービスを利用させるのとでは、差は大きい。

その4【身内空間を演出するため】
mixiユーザーが、なぜか内部で無防備になってしまうように、会員登録という行為によって「ここは外界とは隔てられた世界なんだ」という錯覚を抱かせる演出ではないか? という説。「俺はそんなmixiユーザーみたいな馬鹿じゃねーよ」という人もいるだろうが、実際、ニコニコ動画の中では、かなり弾けたコメントが飛び交っているし、コミュニティー意識も高いるように見える。

その5【一見さんを蹴るため】
ニコニコ動画上には、著作権違反に加えて一般人から見ればアレな内容の動画も多い。そこで、検索エンジンなどで、偶然そういった動画のリンクを拾ってしまった、一般人のアクセスを遮断するためのユーザー登録ではないか? という説。
偶然迷い込んだ一般人が、アニソンに乗って二次元美少女キャラが次々と表示されるような動画を見て、ショックを受けて騒ぎ出すと面倒なので、そういった層を排除するため。


とりあえず、イン殺のエントリに載ってない分で自分が思いついたのは、こんな所。

テレビは安い

次世代ゲーム機不要論の中に「HDテレビの普及状況を考えれば次世代ゲーム機が必要な時代はまだ来ない」といった論調があったように思う。たしか、大画面の薄型テレビは家族がリビングルームで楽しむようなものだから、そこにゲーム機が入り込むような隙はない、といった主旨だったと思う。
個人的には、これこそ非現実的な意見だと思う。簡単に言えば、HDテレビはどんどん安くなり、次々と個室に入っていくからだ。リビングを占拠する大画面テレビなど使わなくても、今まで通りプライベートルームでHD解像度のゲームが当たり前になる時代は、わりとすぐそこだろう。
理由として挙げられるのは、新世代ゲーム機の現実的な出力解像度が720pに落ち着きそうなことだ。1080pのフルHDパネルはまだ高価だし、大画面の物しか用意されていないが、ゲームを楽しむだけなら不要だ。そして720p対応パネルを搭載したテレビの価格は、現時点でさえ既に個人レベルでも充分に購入の視野に入ってきている。これが、来年以降となれば尚更だろう。
おそらく、冒頭に上げたような勘違いは「薄型テレビは高価な物だ」という固定観念から抜け出せていないためだろう。そして、頭の中で思い浮かべた高価な薄型テレビでゲームのプレイシーンを想定しようとするから、おかしな話になってくる。現実としてテレビは安いし、これからもどんどん安くなっていくのだ。そういった時流を見越して、現世代で不完全*1ながらもHD出力を果たしてきた新世代ゲーム機は現実的な対応ができたと言えるだろう。

*1:現世代のゲーム機は、1080pに対応させようとすると一気に無理が出る。

変わらなかった任天堂

 PS3の苦戦と久夛良木CEOの退任は、1つの時代の終焉を思わせる。SCEはこれからもPS3失地回復に向けて死に物狂いの努力を続けていくのだろうが、無限の資金を誇り勝つまで永久にやるマイクロソフトとは違い台所事情の苦しいソニーのこと。このまま状況が改善しなければ、どこかの段階でPS3は支援を断ち切られ、次期ハードにて挽回を目指すという展開もありえるだろう。むしろ、下手をすると次期ハードどころか、このままゲーム事業からの撤退という話にもなりそうだが*1、それを言ってはおしまいなので、とりあえずは次期ハードがあるものと仮定して話を進めてみることにする。
 ソニーが次期ハードで意識するのは、当然、任天堂がDSやwiiで採った初心者層の取り込みという戦略だろう。とはいえ、任天堂の戦略は(元を辿れば64発売時にまで遡ることができる)10年以上かけて築いたフィロソフィーだ。SCEがドタバタの中で、ソニー本社に言われるままに慌てて位置センセサーやモーションセンサーを搭載したwiiモドキを登場させても失笑を買うだけだろう。今、SCEがやらなければならないのは、任天堂の真似ではなく任天堂でもマイクロソフトでもない「PSの指標」を切り拓いていくことだ。
 任天堂の現在の戦略は64時代にまで、その起源を遡ることが出来る。当時、任天堂が行っていたのは、CD-ROMの導入による大容量化へのアンチキャンペーン、ゲームの重層長大化への批判だった。そこで任天堂が打ち出したのは「ゲームが変わる、64が変える」という大上段に構えたキャッチフレーズだった。そこには、ゲームの量的な拡大を否定しプレイ体験そのものの質を向上させるという意気込みがこもっていたが、ある意味、中身より思想優先とも言えるこのコピーが、多くの消費者の心に響く事はなかった。
世の中はPSが我が世の春を謳歌する大SCE時代である。普通の会社や経営者なら、一向に成果の上がらない自社の方針に不安を抱き方針転換してしまうことだろう。しかし、任天堂は揺れなかった。安直にPS陣営の真似をすることはせず、むしろ自社の信念をさらに貫き通す道を選ぶ。話は逸れるが、この任天堂の決断が良かったのか悪かったのか、判断を下すのは難しい。たしかに、wiiが好調の現在なら過去を振り返って不変不屈の任天堂の姿勢を褒めそやすことは簡単だ。だが、その信念ゆえに、64、ゲームキューブと失敗を繰り返し、10年に渡り不遇の時代をかこつてきたわけである。マリオやポケモンといった自社資産があったからこそ優良企業としてやってこれたものの、これが普通の会社ならとっくに倒産していた可能性だってある。もしwiiが失敗していれば、今頃はただの“学習機能のない会社”と言われ軽んじられていたことだろう。
その後任天堂は、64、ゲームキューブ時代と続けてきた重層長大化の否定、ゲーム体験の質的向上というコンセプトをさらに分かりやすく打ち出すために一捻りして、DS、wiiにおけるゲーム人口の拡大というコンセプトに辿り着くのである。裏を返せば、任天堂の「このままではゲーム人口が減少していく」という主張は、PSが売れまくりゲーム市場が伸びに伸びていた時代から一貫して行われており、アンチCD-ROMに端を発するいわばこの会社のテーゼである。任天堂の現在の成功は、この会社が時代の流れを読んだというよりもむしろ、10年以上ずっと同じ事を主張し続けてきた結果、時代の方が一回りしてたまたまその主張とフィットする流れが再び訪れただけ、という側面が強い。
 さてSCEである。かつて(そして今も)任天堂が自社のビジョンを掲げ続けたように、この会社も再び自社の指標を切り拓かなければならない。任天堂が「ゲーム層の拡大」を打ち出し、マイクロソフトが「ネットワークの融合」を成功させて見せた今、両者の猿真似をしても傷口を広げるだけだ。
「技術のSCE」というのが、さしずめ現在の指標だろうが、そこから新しい遊びの領域を切り開いていかなければ未来はない。PS3の発売予定タイトルを見る限り、「Warhawk」や「Assassin's Creed」といったその可能性を感じさせるラインアップも見て取れる。しかし、かつての任天堂がいかにゲームの質的転換を訴えても伝わらなかったように、PS3の優れたタイトルも遅きに失した決戦兵器になりかねない。現在もっている「力」をいかに状況の優位に変えていくか、ソニー本社の圧力に屈しないSCEの大胆な舵取りに期待するしかない。ただ、SCEの首脳部に宮本茂のようなゲームソフトのエキスパートの顔が見えないのは大いに不安だが。

*1:ソニー中枢部にゲーム事業を理解している幹部がいるようには見えない。彼等がギャンブル性が高く得体が知れないゲーム事業など社外に放り出してしまえ、と考えても不思議はない。

ネットの普及によりオタクの構成層は本質的に変わった

既に言及され尽くされている事だろうとは思けど、上記リンク先を読んで思い出したので「オタクの変質」について自分でも一応。

かつてオタクというのは、(その良し悪しは別にして)限られた人間が選び取った生き方だった。小学生を越え中学生となり、周囲の人間は次々とアニメやゲームから“卒業”していく。そんな中、敢えてアニメやゲームの世界にとどまり、雑誌やゲームを購入し続け、毎週のアニメを律儀に録画する。オタクとは、(自覚のある無しは別として)自ら生き方として主体的に選びとらなければならない、1つの選択的生き方だった。そして環境にもよるだろうが、オタクは孤独だった。少なくとも、自分の場合はそうだった。中学になり高校になり、周囲にアニメやゲームに興味を示す人間はなく(本当に軽い、うっすらとしたライトユーザーはいたが)ネットも普及していなかった当時、オタク的な話題を共有する相手もなく、ただ1人黙々と消費を続けるのみだった。それでもなお、そういう物が好きであったし、そこから離れる事もなかった。また、現在のようにテレビやOVAでロボットアニメや美少女アニメが溢れているような時代でもなく、むしろ廃れているようにさえ見えた。その頃は、この先メカアニメや美少女アニメといったオタク向けアニメの供給が途絶してしまうのではないかと、本気で心配したことさえあった。その昔、オタクとして生きていくのは、結構それなりに大変なことだったのだ。(もちろん、自分の世代も上の世代から見れば、ずっと恵まれていたのだろうが)

しかし、現在は違う。ネットが普及し、オタクは容易にコミュニケーションをとる(というか、他のオタクの存在を知る)ようになり、企業は大量の情報を流すようになり、オタクとして生きる敷居は劇的に下がる事になった。結果、起こったのはオタク層の肥大化だった。上にも書いたように、オタクというのはかつて自分で選択した生き方だった。しかし、今のオタクはどうだろうか? オタクとして生きるのにどれほどの障害があるだろう? オタクとは主体的に選ばねば辿り着けない生き方だろうか? 無趣味、無教養な人間がダラダラとネットを続けた結果、最終的に行き着いてしまう人間廃棄処分場、現在のオタクとはそんな層になっていないだろうか? もちろん、かつてと同じように主体的な生き方としてオタクを選んだ人間もいるだろう。しかし、最近のオタク層の急激な肥大化は、それ以外の層の人間が大量に流入し続けている事を示している。その結果としてオタクの消費行動が、上記リンク先に指摘されているように典型的なマスマーケティングの対象であるF1層と相似形をなしてくるのも、当然の結果と言えるだろう。

と、最近の若いオタク層に対して、すいぶんと批判的なスタンスで言及してしまったが、実は指摘したような最近の風潮が悪い事だとは思っていない。これが時代の流れなのだろうし、濃い層、薄い層、数が集積していく事によってオタクの裾野が広がっていくことも大事だろう。そして、そこから生まれてくる物もあると思う。ただ、こうして集まってきた層は、非常に脆い。吹け飛ぶ層である。まさにF1層のように。

そして、物事には反動がある。今現在、これだけ大袈裟なバブルとも言えるオタク“ブーム”が起きている中、長期的に見ればいずれ反動として、再びオタク冬の時代が訪れることになるだろう。そんな時、こういった層は一気に薄れ細っていく(同時に、そういった層を相手にしていた大規模な商売も手早く店仕舞いしていく)。残るのはごく少数の本質的なオタク性を備えた人々だけだろう。わずかな数のオタクが身を寄せ合い、苦しい時代を生きることになった時、あなたはその中に加わっている覚悟があるだろうか。

そのうちデジカメに搭載されそうな機能

電波時計GPS搭載デジタルカメラ。そのうちExifフォーマットが拡張されて、GPSで取得した撮影時の位置情報も記録されるようになると思うんだけど。当然、閲覧ソフトはGoogle Earthと連携。正確な時間と位置情報に基づいてflickrのように写真を共有できるようになれば、タイムマシンのように時間を自由に行き来しながら、GoogleEarthのようなインターフェイスで世界中のありとあらゆる場所を自由に見て回れるようになる。