ネットの普及によりオタクの構成層は本質的に変わった

既に言及され尽くされている事だろうとは思けど、上記リンク先を読んで思い出したので「オタクの変質」について自分でも一応。

かつてオタクというのは、(その良し悪しは別にして)限られた人間が選び取った生き方だった。小学生を越え中学生となり、周囲の人間は次々とアニメやゲームから“卒業”していく。そんな中、敢えてアニメやゲームの世界にとどまり、雑誌やゲームを購入し続け、毎週のアニメを律儀に録画する。オタクとは、(自覚のある無しは別として)自ら生き方として主体的に選びとらなければならない、1つの選択的生き方だった。そして環境にもよるだろうが、オタクは孤独だった。少なくとも、自分の場合はそうだった。中学になり高校になり、周囲にアニメやゲームに興味を示す人間はなく(本当に軽い、うっすらとしたライトユーザーはいたが)ネットも普及していなかった当時、オタク的な話題を共有する相手もなく、ただ1人黙々と消費を続けるのみだった。それでもなお、そういう物が好きであったし、そこから離れる事もなかった。また、現在のようにテレビやOVAでロボットアニメや美少女アニメが溢れているような時代でもなく、むしろ廃れているようにさえ見えた。その頃は、この先メカアニメや美少女アニメといったオタク向けアニメの供給が途絶してしまうのではないかと、本気で心配したことさえあった。その昔、オタクとして生きていくのは、結構それなりに大変なことだったのだ。(もちろん、自分の世代も上の世代から見れば、ずっと恵まれていたのだろうが)

しかし、現在は違う。ネットが普及し、オタクは容易にコミュニケーションをとる(というか、他のオタクの存在を知る)ようになり、企業は大量の情報を流すようになり、オタクとして生きる敷居は劇的に下がる事になった。結果、起こったのはオタク層の肥大化だった。上にも書いたように、オタクというのはかつて自分で選択した生き方だった。しかし、今のオタクはどうだろうか? オタクとして生きるのにどれほどの障害があるだろう? オタクとは主体的に選ばねば辿り着けない生き方だろうか? 無趣味、無教養な人間がダラダラとネットを続けた結果、最終的に行き着いてしまう人間廃棄処分場、現在のオタクとはそんな層になっていないだろうか? もちろん、かつてと同じように主体的な生き方としてオタクを選んだ人間もいるだろう。しかし、最近のオタク層の急激な肥大化は、それ以外の層の人間が大量に流入し続けている事を示している。その結果としてオタクの消費行動が、上記リンク先に指摘されているように典型的なマスマーケティングの対象であるF1層と相似形をなしてくるのも、当然の結果と言えるだろう。

と、最近の若いオタク層に対して、すいぶんと批判的なスタンスで言及してしまったが、実は指摘したような最近の風潮が悪い事だとは思っていない。これが時代の流れなのだろうし、濃い層、薄い層、数が集積していく事によってオタクの裾野が広がっていくことも大事だろう。そして、そこから生まれてくる物もあると思う。ただ、こうして集まってきた層は、非常に脆い。吹け飛ぶ層である。まさにF1層のように。

そして、物事には反動がある。今現在、これだけ大袈裟なバブルとも言えるオタク“ブーム”が起きている中、長期的に見ればいずれ反動として、再びオタク冬の時代が訪れることになるだろう。そんな時、こういった層は一気に薄れ細っていく(同時に、そういった層を相手にしていた大規模な商売も手早く店仕舞いしていく)。残るのはごく少数の本質的なオタク性を備えた人々だけだろう。わずかな数のオタクが身を寄せ合い、苦しい時代を生きることになった時、あなたはその中に加わっている覚悟があるだろうか。