一般人から見たiPhone

 7月の末頃、法事があったので田舎にいってきた。
 ここでいう田舎には、自分の出身地といった意味合いもあるが、それ以上に物理的な意味で田舎なのである。過疎の山村というほどではないが、それでも町の人口は数千人、主要産業は農業、少なくとも自家用車がなければ日常生活にも支障をきたし、4人家族なら車は4台必要、という程度には田舎である。

 そんな田舎で、小一時間ばかり自分とは世代の異なる親戚と話す機会があって、そこで一瞬だけ話題にあがったのがiPhone。PCやネットといった物には、一切関心のない一般人のiPhoneに対する見解を垣間見れたように思ったので、メモも兼ねて。ちなみに、自分自身はiPhoneは購入していない。

 会話の相手は、50代後半。民間企業勤務の管理職。いわゆる普通のサラリーマンで、おそらく会社ではPCも使っているだろうが、プライベートでネットに繋ぐような事は一切無し。自分のように、PCとネットがないと日常生活に窒息感を覚えるような人間とは、縁遠い世界に住んでいる人ともいえる。

 親戚のiPhoneに関する開口一番は、「なんかタッチで操作する携帯電話だね?」という反応。そして次に「音楽とかが聞ける」、最後は「アメリカの会社が作った機械」、その程度の印象でおしまいある。面白かったのは、ネットでは盛んに語られている“iPhoneの可能性”に関する話題が、一切登場しなかったこと。後から自由に機能(アプリ)か追加できるとか、機能(アプリ)の開発環境も公開されている、なんて事は全く知らないようだったし、そもそもそれ以前の段階として、iPhoneが“ネット端末”である、という認識そのものが存在しないのである。

 新聞やテレビといった一般メディアが、iPhoneをどう報道したのか自分は知らないのだが、その親戚の中に構築されているiPhone像というのは、「タッチパネルで操作する、音楽も聴ける携帯」という認識が全てであり、言ってみれば子供の玩具の延長線上にある携帯、程度の存在に過ぎないのである。親戚は月額約8000円の利用料金が必要な事を聞かされると、なぜそんな高額な利用料金を請求されるのか理解できない、といった雰囲気さえ漂わせていた*1。どちらかというとiPhoneそのものよりも、事前予約の禁止や原宿店での先行販売といった、発売当日のソフトバンクモバイルの販売手法に関する部分の方が、話題としては盛り上がったくらいだった。

 繰り返すが、この親戚は普通の民間企業に勤務するサラリーマンで管理職(ホワイトカラー)であり、別に経済的に困窮しているわけでもない(どちらかと言えば、裕福な部類である)。ただ年齢は50代後半、地理的にかなりの田舎に住んでいる、というだけでここまで感覚が違う。そして、いわゆるPCにもネットにも、それほど縁の無い世間一般と言われる人達のiPhoneに対する認識、さらに言えば“ネット”という媒体に関する認識も、この程度の物なのではないか、と自分が思ったのも事実である。散々言及されていることではあるが、毎日ネットを巡回し、ブログや掲示板を使って様々な情報を発信したり、Youtubeニコニコ動画を楽しみ、ソーシャルブックマークを使いこなす、なんていう人間の方が、実際はかなり限られた特殊な層に属しているのである。

 この話題、そのうち“一般人から見たネット”として続きを書くつもり。

*1:ただし、あくまでも雑談の流れの中で偶然iPhoneの話題が登場しただけであり、自分がそういった事について、敢えて詳しく説明するような場でもなかった、という部分も大きい。