なぜヘボい原画家までセットで評価されるのか?

 エロゲーの不思議。シナリオが非常に優れたゲームが大ヒットすると、なぜかそれとセットで非常にヘボい原画家の絵まで、まるでシナリオと同レベルの品質であるかのように評価される。
古くは、初期Leaf「雫」「痕」「To Heart」あたり。その後、key系の「ONE」「Kanon」「Air」あたりが来て、最近ではTYPE-MOONの作品全般がそう。いくらシナリオが名作だからといって、ヘボい絵はヘボい絵に違いないだろう。それがなぜ絵までセットで評価してしまう人が現れるのか? 「自分の好きな○○○の原画を担当した人だからファンだ」というロジックならわかる。しかしそれは「○○○の原画だから絵が素晴らしい」にはならないだろう。シナリオの評価と絵の評価は別問題だ。
面白いことに、シナリオが名作認定された場合にのみ、この異常な水増しパワーが発生する。絵がいくら素晴らしくても、糞シナリオは糞シナリオのままであり、絵の力でシナリオが水増し評価されたりはしない。(音楽に関しては、もっと不遇かもしれない)
心に働きかけるという意味では、シナリオの潜在的な力というのは、そこまで大きいということだろうか? ヘボ原画に名画フィルターをかけてしまうほど。確かに、シナリオは絵や音をゲームとしてつなぎ合わせる接着剤的な機能も持っているが。それとも単に「好き」と「良い」の区別が出来ない人が多いだけなのか。