クロノトリガーに感じた違和感

以下の文章には、クロノトリガーに関するネタバレが含まれています。

RPGの主人公はプレイヤーの分身なのか、それともプレイヤーからは離れた役者なのか、という話。リンク先を読んで思い出したのは、クロノトリガーへの違和感。クロノトリガー堀井雄二が制作に関わっているだけあって、主人公のクロノは終始無言。プレイヤーの分身として扱われている。
しかし、ゲーム終盤にクロノは死亡してしまい、プレイヤーは残りのパーティーメンバーを操作して、クロノを生き返らせるため奔走することになる。これまで常にプレイヤーの分身として扱ってきたクロノを、シナリオ上いきなり殺してしまうのだから、この矛盾にはひどく驚かされた。(突き詰めればこれは、テレビの前のプレイヤーまで死んだという意味にならないだろうか?)クロノが死んでから生き返るまで、自分がどういう視点からシナリオの進行を見守ればいいのか、とまどったのを覚えている。自分はクロノの亡霊なのだろうか? 亡霊となったクロノが、自分を生き返らせようと奮闘する仲間達を、草葉の陰から見守っている状態なのだろうか?
どうして、こんなことが起こったのか原因を推測すると、おそらくこれがスクウェア主導の坂口博信によるプロジェクトだったことの影響が大きいのだろう。坂口は和製RPGにおいて映画的な演出を指向した人物だっただけに、主人公死亡というインパクトのある展開を導入したかったのだろう。その原案にあわせた上で、堀井雄二が自分の流儀を守った結果、プレイヤーの分身として扱われていた主人公が死亡した上で物語が展開するという矛盾が発生したのではないだろうか。
プレイはしていないが、公式サイトで公開されていたドラクエ8のデモムービーを初めて見た時、「これはFFみたいだな」と思ったことがある。イベントシーンと思しき場面で、キャラクター達が映画のようなカット割りで動き演技していたのを見たからだ。ゲーム機の性能が進歩するにしたがい、主人公をプレイヤーの分身とみなす堀井雄二的な文法は限界を迎えつつあるのだろうか?*1
今、坂口博信堀井雄二が再び手を組んだらどんなRPGが生まれるのか、少し見てみたい気もする。


■2007/05/05追記

上記リンク先によると
>「堀井雄二氏は、実はクロノトリガーの脚本を(ほとんど)担当してはいない」

とのこと。もし仮に「主人公のクロノがまったく喋らない」というクロノトリガーの特徴が、堀井雄二の指示による物でなかったとすると、このエントリの前提条件そのものが崩れた事になる。

*1:ただし、これは範囲を和製RPGに限定した場合の話。