ダ・ヴィンチ・コードのヤバさ

 ダ・ヴィンチ・コードを読了した時、頭をひねったことがある。この小説のどこがそんなにヤバいのだろう、と。一部、海外では発売禁止になったり、映画の上映も禁止されたりと、大変な騒ぎになっていたようだが、その理由を実感することができなかった。
もちろん、理屈としては分かる。要はキリストに子供がいたりとか、聖書は都合良く作られた物語だとか、そういうことを事実であるかの如く書いてしまったら、宗教関係者や信者たちが自身の尊厳を傷つけられたように感じるのだろう、と。そういうアウトラインは、自分でもなぞることはできる。ただ、そのロジックを自分自身リアルな皮膚感覚としては体感できない。
そこで、ダ・ヴィンチ・コードインパクトを現代日本に置き換えてみる事を考えた。どのくらいの内容なら、日本でもダ・ヴィンチ・コード並の騒ぎが発生するだろうか。いろいろ当てはめてみた結果、ベストだと思えたシミュレーションは、これ。

内容は、もちろん天皇渡来説を根拠にした「天皇家の血筋が韓国人だった」というストーリー。こういった小説が事実という体裁で大手出版社から発売され、さらに世界的に大ヒットを飛ばしたりハリウッドで映画化なんてことになったら、そりゃ日本中が大騒ぎになることだろう。
 なるほど、ダ・ヴィンチ・コードが海外であれだけの騒ぎになるのも納得である。関係者なら、発売禁止にもしたくなるだろう。さて自分は、天皇をキリストと同レベル扱いしてしまった不敬を悩むべきか、それともその逆なのか。

*1:主人公のミスカトニック大学歴史学部の教授が、鳥獣戯画に込められた数々の暗号を読み解いていった結果、天皇家の血筋が北の大将軍様とつながっていたことが判明する愛と感動のミステリー。