PCによるWebアクセスは、あと何年で消えるのだろう−携帯がPCを駆逐する日

 海外ではわからないが、日本においては「PCからWebを閲覧する」という文化は、今が黄金期なのではないかと良く思う。すなわち、こらから先PCによるネットの利用は右肩下がりに落ちていき、最終的には絶滅、というのは大袈裟にしても、携帯とPCの比率が9:1くらいになるのではないか、と勝手に予感している。

 その理由として挙げられるのは、まず携帯ハードウェアの進化のスピード。次に、若い世代が初めて触れるネット環境は携帯が当たり前になっており、既にPCが特殊なポジションとなりつつあること。そして、Webサービスの多くが次々に携帯対応を果たしており、さらに商売の手間や通信の管理を考えれば、携帯専用の方が都合が良いであろう事。そういった状況を鑑みれば、今から10年もすれば(仕事以外の用途で)PCからネットを閲覧する人間は、絶滅危惧種として扱われているのではないだろうか。それもどちらかと言えば、「最後まで残った天然痘ウィルス」的な絶滅推奨種といったニュアンスで。

 滅び行くPC利用者が目の当たりにするであろうネット世界、そこにはどんな景色が広がっているだろう。まず、ほとんどのWebサービスは、携帯からしか利用できない。モバゲーのように、PCからのアクセス遮断が当たり前なのだ。ニコニコ動画2ちゃんねるだって、とっくの昔に携帯専用に移行している。管理ばかり面倒なPC版を維持するメリットがないのだ。次に、広告依存のビジネスモデルも、携帯に特化した進化を果たしている。結果、ジオシティーズインフォシークといった無料のWebホスティングサービスは、既に滅び去っている。遙か昔に更新は停止しているが、非常に有益な情報が眠っている、そんなサイトも、サービス停止時に自動的にネットから消滅している。オンラインゲームも携帯か、ゲーム機で楽しめばいいし、株取引やバンキングも、穴だらけのPCより対応携帯からの方がずっと安全になっている。主要なネットサービスから弾き出され、さらにPCネット文化を駆動してきた広告モデルも衰退し、結果PCから見えるネットの風景は、90年代中頃のレベルまで退行し、ある種、末期のパソコン通信の世界のように牧歌的な世界が広がっているのかもしれない。

 それは、自分のようにPCからのネットが好きで好きでたまらない人間には、悪夢の世界に他ならない。なにより、PCが秘めていた“創作を引き出す力”が滅びていく。かつてのFLASH、そして現在のニコニコ動画が顕著だと思うが、PCには消費者を創作者*1へと変えていく力が眠っている。別に動画コンテンツに限らない。ゲームでもプログラムでも、欲した時、求めた時、人は何かを作り出す努力を始めることができる。*2 かつて、消費者と創作者の垣根が、これほどまでに低くなった時代があっただろうか。しかし、PCと携帯の力の逆転は、この素晴らしい可能性の果実を遠ざけてしまう。人は、かつて手にしていたはずの可能性を簡単に忘れさってしまうだろう。*3

 と、ずいぶんと悲観的な未来を提示したが、実は「PCからWebを閲覧する」という文化を100%守るための完璧で確実な方策は、既に存在している。どんなに携帯ハードウェアが進化しても、どこまでパケット通信料が安くなっても、決して追いつけないPCだけの世界。それこそがエロである! 大画面、高解像度、滑らかなフレームレート、エロを求める心から、この欲求が消え去る事だけは決して無い。人は、もっと大きな画面で、もっとリッチなインターフェイスで、もっともっときれいなお姉さんを永遠に求め続ける旅人。エロに対するユーザーエクスペリエンスの欲求、これだけはどんな物理法則をも超えて無限に大きくなり続けていくのだから。

 そう、だからもし、あなたがネットの世界から追い出されたくないと願うPCユーザーなら、今から全力でネットのエロ文化の保護発達に貢献しなければならない。「PCから覗くネットには、素晴らしいエロ世界が広がっている」、非PCネットユーザー達に、そんな夢を与え続けることだけが、PCがネット世界で生き残るための唯一の方策なのだ。近い将来、政府や当局によるエロ規制は、より強まっていくだろう。しかし、ネットの未来を守るためには、断固として立ち向かわなければならない。エロを守る事こそが、ネットの未来を守ることになるなのだから!


2008年6月22日19時19分追記
コメント欄やブックマークコメントを楽しく読ませてもらいつつ。
携帯用WebとPC用Webの垣根が無くなったとしても(技術的には、そうなるだろうと自分も思う)、そもそもPCでWebを見るという習慣その物が廃れてしまえば、そこにあったはずの面白い可能性が失われてしまうのではないか、という点を一番強調したかったんだけど、本文に余計なことを書きすぎた!?

*1:たとえ二次創作であっても。むしろ、全ての創作は模倣から始まるのだから。

*2:これもまた、これまで先人が築き蓄積してきた様々な資産のおかげであり、PCとネットの持つ大きな潜在力の1つである。

*3:PC利用者の99%には、無関係な可能性もしれない。しかし、問題はその分母となる数である。

“アリゾナ老人シリーズ”は、多分偽物

 最近、一部で話題の「アリゾナ老人シリーズ」。ニコニコ動画で日本語字幕をつけてくれた人がいたおかげで、自分も楽しく見ているが、個人的にはlonelygirl15の類の、いわゆるネタ動画ではないかと思っている。

 最初に気付いたのは、毎回かならず登場するDVDデッキにディスクをセットするシーン。そこに映る手の甲が、かなり若い人物のものに見える事。少なくとも、映像の中でアニメを語っている老人の物ではない。それがきっかけで、少し意識して映像を見るようになると、いくつか気になる部分が出てきた。

 まず、冒頭と最終部分は固定カメラで、老人がこちらに向かって歩いてくるシーンと去っていくシーン。1人でも撮影できない事ではないが、少なくとも老人とは別に、もう1人カメラ担当スタッフがいると考えた方が自然だろう。次に、アニメ本編シーンを織り交ぜた作品紹介の編集も、なかなかのものだ。しかも、作品本編になぞらえたオチまで用意された映像もある。また、ジパングのアニメ評では正規版DVDではなく、ファンサブ版が視聴に使用されているように見えた。ここまで来ると、実際の作品評も少し出来すぎという気もしてくる。アクエリオンの3Dアニメパートへの批判など、日本のアニメオタクも顔負けだ。

 こうやって見ていくとアリゾナ老人シリーズは、少なくともこの老人が個人で撮影編集したものではないだろう。実際は、プロか素人かは分からないが(多分、素人)、2、3人のチームで制作していると見るのが妥当だと思う。そしてそうなると、果たしてこの老人は本当にアニメが好きなけだけの謎の老人なのか(そして、その老人をバックアップするチームが存在するのか)、それとも(面白アニメ映像を作りたかった)制作チームに雇われた(もしくは協力している)単なる演技者が居るだけなのか、という疑問に行き当たる。そして自分は、今回のケースでは後者の確率がかなり高いと判断したわけだ。

 企画としては面白いと思うが、一種のフェイクである可能性が高い事は自分も残念だ。なぜなら、アメリカのアリゾナ、その荒野の真ん中に住む謎の老人が、日夜アニメを堪能しながらオタクアニメ評を繰り広げるというのは、日本のアニメオタクにとっては、強烈なファンタジーだからである。しかし、それはファンタジーであるが故に、やはり実在の物ではなかった。

 いったい誰がどんな目的で、こんな映像を作ったのか? 今、気になるのは種明かしの部分。それこそ、NHKネットスターあたりで追求すればいい題材だと思うけど、結局、このまま有耶無耶になってしまうのだろうか。真相が明らかにならず、変な都市伝説じみた日本アニメ武勇伝みたいな物だけが伝承されてしまうのが、一番タチが悪いと思うんだけど。

追伸
英語圏のサイトをきちんと検索すれば、謎はとっくに解明済みですか?


2008年6月27日2時32分
“アリゾナ老人シリーズ”は、やっぱり多分偽物」を追加しました。

ニコニコやpixivが今すぐ導入すべきタグに関する改善

 ニコニコ動画などでも利用されている「タグ」機能。自分も便利に使っているが、以前からずっと不満に思っている部分が1つ。それは、タグを「パブリック」と「プライベート」で使い分けられないこと。即ち、通常のみんなで付けたり消したりするタグ以外に、自分のローカル環境だけで管理閲覧できる、プライベートタグを付ける機能を実装して欲しい。

 pixivで顕著なことだと思うが、「お気に入りユーザー」や「ブックマーク」が自分専用の画集になっているユーザーが多いのではないだろうか。しかし、残念ながら集めた画像群を適切に管理する方法は一切提供されていない。*1 お気に入りやブックマークが増えれば増えるほど、マイページは加速度的にカオス化していく。そこで、パブリックでみんなが付けているタグ以外に、自分のローカル環境だけで管理できるプライベートタグを付ける機能が欲しいのだ。

 細かい要望を付け加えれば、画像にプライベートタグを付ける際は、毎回手動で打ち込むのは面倒なので、過去に登録されたタグが一覧表示され、そこからマウスのドラッグアンドドロップで登録できるようにして欲しい。また、特定の作家の画像には、特定のタグが自動で組み込まれるようなマクロ機能も欲しくなってくる。加えて、見たい画像を一覧するために、複数のプライベートタグを組み合わせた「ラベル」を作成保存する機能があれば理想的だ。

 pixivに限らず、タグ機能を提供するサイトにおいては、タグを「パブリック用」と「プライベート用」の2種類に明示的に分離する事は必須事項ではないかと思う。*2 *3 また、そのタグ群を組み合わせて、収集した情報を自分好みに一覧できるようなインターフェイス(このエントリでは「ラベル」と表現)も絶対必要になるだろうと思っている。さらにここで、他人の作ったラベルをソーシャルに共有できる機能等もあれば、もっと面白くなるかもしれない、とか無駄に妄想ばかり広がっていくんだよ!

追伸
欲しい、欲しい、ばっかり連呼して!


2008年5月1日23時31分追記
 一部、ブックマークコメントを読んで、意図が伝わっていないかな、と思ったので補足。
 自分の場合、pixivの「お気に入りユーザー」や「ブックマーク」の中身が、軽く100を越えてえらい事になっている。この中から、見たい画像だけを一覧する方法が欲しかった、というのが第1希望。プライベートタグを付けておく事によって、

  • 「Aさん」の描いたイラスト
  • 「ブルマ」のイラスト
  • 「Aさん」の描いた「ブルマ」のイラスト

といった抽出をオンデマンドで即座に出来るようにして欲しい、と思った次第。(使った事は無いけどPicasaなんかには既に実装されてる?)ポイントは、あくまで自分のチョイスした画像の中だけから、こういう作業が行いたかったと。パブリックタグでは、どうしてもノイズが多すぎる。さらに、これに加えて、自分と嗜好の似たタグ付けをしている人の「ラベル」を共有できたりとか、そういった機能があれば面白いかな、とか。そしてpixivだけでなく、こういった機能はタグを提供するサイト全般に広がっていって欲しい、という希望もあり。
 そういった意味では、純粋に自分の使い勝手の要望だけを書いたエントリなので、ブックマークコメントにあった「安易にプライベートを導入するとニコ動で上手に働いている一部のフォークソノミ要素が衰退する可能性もある」といった指摘には、なるほどと思いました。

*1:pixivが、本来SNSである事を考えれば、筋違いな要求かもしれないが。

*2:パブリックタグとプライベートタグの評価の重みを比較できる機能なんかもあれば面白いかも。

*3:場合によっては、パブリックタグは、全ユーザーのプライベートタグ群から、自動生成されるようなシステムでもいいかもしれない。

Re:今後、抜きゲーは3D、シナリオ重視のゲームは2Dに分かれていくんじゃないかなぁ。

 リンク先の記事、ツッコミどころ満載だし、総論においてまったく説得力を感じないけど、読んで夢が広がったんだよ!

抜きゲーは2Dと3Dだったら、断然3Dの方が実用性は増しますよね。

 最初、これを読んで「いや、二次元絵のエロさと3D映像のエロさは、まったく別次元の物だろう」と思った。3Dのエロ映像が二次元エロ絵の代替物になるなんてありえない。さらに言えば、エロゲーに限らず3Dは二次元の上位互換でもなければ、それに取って代わる表現でもない。

 でも、ここでふと気付いた。「あ、もしかしてリンク先エントリは、この先さらに技術開発が進めば、内部的には3D処理されてるんだけど、見た目上は二次元画像と全く見分けが付かない、完璧な二次元3D技術が開発される」という話なのかな、と。これは、もしかしてドリーム開眼?

 そのためには、まず「カメラ位置によって被写体のデッサンがわざと崩れるシェーダ」を開発する必要があるだろう。次に「あり得ない方向から、あり得ない光が当たって、宇宙的な陰影を表現するシェーダ」も開発する必要があるし、人体を表現するシェーダだって「ただの人間の肌ではなく、肉でも樹脂でもない、独特の光沢と質感をもった、エキゾチックマテリアル」を再現する究極の方法を探索しなくてはならない。他にも、パースを意図的に破壊するシェーダの開発や人間の描く線のタッチを完璧に学習できるシェーダなど、課題は山積みだ!

 そしてこれは、実に日本的なオタク的な課題で、素晴らしい技術開発だと思った。欧米のゲーム業界は、3D技術を徹底的にリアルな、現実の代替物を構築するための技術として発達させている。しかし、3Dという技術を究極に発達させて、二次元世界の美しさを完璧に表現するという開発は、その中からは決して生まれてこないだろうな、と。この先、ムーアの法則が生き続ければ、いずれ現実と見まがうかの如き、リアルな3D映像という物は当たり前の存在になるだろう。今はまだ、そういった映像を作り上げる事その物に血道を上げているが、これは単なる過渡期の現象であって、近い未来を見れば、そんな物は存在自体が当たり前になるし、リアルな映像を作り上げる事自体にコストなどかからなくなる。そういった未来において、3Dのメリットを完全に併せ持った二次元絵を表現する事が出来る、完璧な二次元3D技術を完成させている日本のゲーム業界は、どれほどエロい画期的なソフトを生み出してくれるのだろう、と。想像するだけで楽しくなる。

 とか、冒頭リンク先を読むと、エントリの主旨とは無関係に、広がる妄想未来にわくわくしてきたんだよ! いやあ、楽しみだなあ二次元3D技術が完璧に完成してる未来、どんだけエロ素晴らしいエロゲーがウハウハと量産されてくるのだろう! 考えただけで今から勃起が止まらない! そんな未来のエロゲー発売ラッシュを見越して、俺も今日からオナ禁して備える事にしよう。

追伸
話としてはこのあたりとも関連してくるのではないかと思った。

Re:はてなブックマークのうさんくささとは

 一般人が、偶然自分のサイトに付いているブックマークコメントを発見した時、そこに並ぶidを見てそれを「顕名」だと認識できるだろうか? 初見の人は、ただキモいコメントが列挙されている、と感じるだけでは? はてなの「id」を「顕名」だと認識できるのは、はてな圏内にいる人だけで、一般人からすれば匿名と大差なく見えるのではないかと。

 はてなの外から見て「うさん臭さ」を感じるのは、はてな圏内の言説の作法や内容そのものに要因があるのであって*1、リンク先のエントリで示されている「顕名で活動を行っている事がうさん臭さの元になっている」というロジックには説得力を感じない。

*1:それが良いか悪いかは、また別問題。

Re:はてなブックマーク考

 リンク先を読んで思った事。はてなブックマークに関して言えば、既に個人用メモとしてではなく、ブックマークページで一覧される事を前提に、他の多数の人に読ませるためにコメントを書いている人も少なからず居るように感じる。そういう観点から見ると、

既に「本来個別のコメントを一覧できるようになっているから。集まるとなんでも気持ち悪い。コメントにある方向性が見て取れると場合もあるが、誰かが扇動していると言う訳ではない。本来は個別のn人である。

というロジックは、成り立たなくなっている部分もあるのではないだろうか。

 本来、はてなブックマークソーシャルブックマークの?)のコメント欄というのは、個々人がメモを残す事が主用途であり、他人から閲覧出来る事は副次的要素だったのかもしれないが、今では、その関係は逆転し掲示板的に他人に読ませる用途の方が、主となりつつ始めているのではないだろうか?

対戦ゲームに理想的な距離

 このゲームの対戦は、隣に座る友人とわいわい騒ぎながら遊べるからこそ楽しいんだと思う。単にWi-Fiで遠隔地と対戦出来ますってだけじゃ、あまり意味を感じない。ボイスチャットでも付いてれば、また違うんだろうけど。

 桃太郎電鉄に限らず、対戦型のオンラインゲームはやはりネット経由より、同じ場所で集まって対戦する方が断然盛り上がる。昔、Age of Empiresの対戦をやりまくっていた頃も、ネットでの対戦よりLANでの友人達との対戦の方が(プレイの技量は稚拙だったにもかかわらず)圧倒的に楽しかった。当たり前の事だが、その場で一緒にプレイする方が、声や身体の所作、場の雰囲気、伝わる情報量が桁違いに多い。町の中心(本拠地)への奇襲攻撃に成功した時、ついたて越しに聞こえてくる友人の絶叫は何にも勝る悦びだった。ただし、ここで重要なのは集合出来るプレイヤーの人数。ゲームの種類にもよるが、一緒に集まっても2人だと微妙。最低でも4人、できれば8人くらいで同時プレイしたい。

 こんな個人的な経験から、対戦ゲームで一番理想的な距離は「互いの画面は見えないけれど、声だけは聞こえる範囲」だと思っている。当然、そんな機会は滅多と無いわけで、LAN環境で友人達と対戦ゲームを楽しむというのは、ゲーマーにとっては、今、一番の贅沢なのかもしれない。(その稀少性故のお祭り効果という部分も大きいんだろうけど)